【ボーはおそれている】3時間に及ぶ究極の悪夢体験にあなたは耐えられるか?【映画レビュー】

映画レビュー

『ボーはおそれている』の作品情報

『ボーはおそれている』(原題:Beau is Afraid)は2024年2月16日公開のホラーコメディ映画。
監督は「アリ・アスター」で、日本でも阿鼻叫喚の嵐を巻き起こした「ミッドサマー」や「ヘレディタリー/継承」を手掛けている。

『ボーはおそれている』のあらすじ

日常のささいなことでも不安になる怖がりの男・ボーはある日、さっきまで電話で話してた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。これは現実か? それとも妄想、悪夢なのか? 次々に奇妙で予想外の出来事が起こる里帰りの道のりは、いつしかボーと世界を徹底的にのみこむ壮大な物語へと変貌していく。

引用元:https://happinet-phantom.com/beau/

『ボーはおそれている』の感想・レビュー

初見時の感想は「??????????????????????????」だった。

アリ・アスター監督の最新作ということもあり、筆者も期待値MAXで劇場にダッシュして鑑賞した。
だが、スクリーンを後にする私の姿はもはや「体調不良?」という憔悴っぷりだった。

まず、なぜ私がここまで衰弱したのか?というと、この作品は「鑑賞に体力を凄まじく要する」からだ。

本作は、極度の不安症に悩む主人公「ボー」の視点で描かれている。
不安症患者である主人公の目線で映画を作っているので、幻覚・幻聴・奇行だらけの3時間に仕上がっており、シンプルに「観る体力」がごっそり持っていかれるのだ。
加えて、幻覚等のせいで映画内の描写の「何が現実で何が非現実なのか?」ということを考えながら鑑賞する必要があり、かなり脳を酷使する作品だった。
ボーの身の回りに起きる出来事は不可解・不条理・不愉快の3拍子が揃っており、もはや観客の耐久テストを行っているのでは?と感じるレベルの映画となっている。

『ボーはおそれている』の評価

ここまで読んで頂いた方には「なるほど、この映画は微妙だったんだな」と思われるかもしれないがちょっと待ってほしい。

確かにサイケデリックサイコ嫌がらせ悪趣味地獄のような映画ではあったが、私はこの作品に好意的な感情を持っている。

考えるに、筆者は「初鑑賞時の見方」を間違えていたのだと今になって思うのだ。

はじめ、私は「あのアリ・アスター監督のことだから、また凄まじいホラーなんだろうな…」と考えてスクリーンに向かっていたのだが、これは大きな間違いだった。
監督曰く、本作は「悪夢的なコメディ」であり「観客に負け犬気分を味わわせたい」作品だと語っており、根本的に観る姿勢を間違えていたのだ。

『ボーはおそれている』はもっと肩の力を抜いて、ボーの負け犬ぶりを面白がりながら、最後には我々も負け犬の気分になり下がろうという映画だったのだ。

だが、はじめから鑑賞する方向性を間違えてはいたものの、私も最後には「クソッ!俺は何を見させられてんだ!」という「負け犬気分」を心から味わえたのでこれはこれで貴重な映画体験だったと感じる。
※実際、鑑賞直後のレビューの記録には星1つと付けていた

総評としては、『ボーはおそれている』は悪趣味な悪夢を3時間たっぷり楽しめて、負の方向ではあるが我々に大きな感動を与えてくれる素晴らしい映画だ。

『ボーはおそれている』の世界を紐解いてみる

ここからはネタバレ込みで『ボーはおそれている』の世界を考察していく。
内容~結末まで触れていくので、未見の方は注意していただきたい。

信頼できない語り手「ボー」

感想でも記したが、本作の主人公である「ボー」は重度の不安症であり、かなり幻覚・幻聴に苦しめられている。
加えて、本作の黒幕でありボーの母である「モナ」の手引きにより現実では到底起こりえないようなことが街でいくつも起きている為、「これはヤバい幻覚なのか?」「これは実際にヤバいことが起きているのか?」というのは正直判別が難しい。
例を挙げると

・全裸のイカれた殺人鬼が堂々と街を闊歩している
・普通に道端で殺人が起きている
・平時にも関わらず銃弾が飛び交っている
・道路上で朝から晩まで上裸で踊りまくっている男がいる

上記の様な描写が、何の説明もなく当たり前のようにスクリーンに映し出されているのだ。
全部幻覚だと思いたいぐらいヒドい出来事が常に起きているが、これが幻覚なのか現実なのかは観客各々で判断するしかないのである。

上記の様な表現をしている背景には「観客にもボーと同じ視点で世界を見てもらう」という意図があり。

ボーの目で世界を見て
ボーの感じる不快を感じる

このように「観客=ボー」の図にすることによって、より本作へ没入してもらうのが狙いだろう。

実家への帰省=胎内回帰?

この映画のラストでは「ボーは船で小さな洞窟を通って、水底へ沈んで終わる」

一見すると「これはどういう終わり方なんだ?」と思うかもしれないし、実際私も初見時にはかなり困惑した。
だが、鑑賞後にゆっくりと本作の全体像を思い起こしてみると、ある程度意味が見えてくる。

本作は「羊水の中から産道を通り、ボーが産まれ落ちる」所から始まり

終わりは「洞窟を通って、最後には湖の暗い水底へ沈んでいく」

この描写を並べてみると、冒頭と終盤は対となっていることがわかる。
そして、対の描写を当てはめてみると

洞窟=産道

湖=子宮

という暗喩が見えてこないだろうか?
つまり、本作は「ボーが母から産まれ母に還る」物語なのだ。

母であるモナから産まれたボーが
モナの支配を受けて歪んで育ち
モナの支配下で暮らし
モナの指示で家に帰らされ
最後はモナへ還る

という、ボーが3時間に渡ってモナに狂わされる映画だった。
こう改めて書いてみるとあまりにもボーがかわいそうである。

最後に

『ボーはおそれている』はサイケデリック悪趣味作品だが、私は愛すべき映画の一つだと胸を張って言える。
本作を劇場で観て同じく負け犬気分になった方や、今後配信などで視聴して負け犬気分になる予定の方に本記事が届けば嬉しい限りだ。

以上、読了頂きありがとうございました。

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